「言えない空気」
翌朝、亮一は会議室に入る前に、昨日の村上の言葉を思い出していた
「優しいと、逆に言いづらいこともあるんです」
あの一言が、頭の中に引っかかって離れない
会議が始まる
今日の議題は、新商品の販促施策だった
亮一は意識して言葉を変えた
「今日は、反対意見も含めて聞きたい」
「違うと思ったら、そのまま言ってほしい」
一瞬、空気が止まった
若手たちは顔を上げたが、すぐに手元の資料へ視線を戻した
沈黙
また、沈黙だった
亮一は続ける
「率直に言ってくれた方が助かるんだ」
今度は、営業企画の女性社員が慎重に口を開いた
「えっと、、、今の案だと、ターゲットが少し広すぎるかもしれません」
亮一は少し身を乗り出した
「なるほど!どう絞った方がいいと思う?」
その瞬間、彼女の表情がわずかに強張る
「い、いえ、まだそこまでは整理できていなくて。。。」
「でも、違和感はあるんだよね」
「・・はい」
「じゃあ、それで十分だよ」

亮一はそう返したつもりだった
だが、その後はまた静かになった
他のメンバーは何も続けなかった
会議が終わったあと、亮一は一人で首をかしげた
反対意見も歓迎すると言った
否定もしていない
それでも、なぜ空気は動かないのか
昼休み、給湯室で課長の山本に会った
亮一は思わずこぼした
「意見を言ってくれって言ってるのに、出てこないんだよな」
山本はペットボトルの水を一口飲みながら言った
「部長、今までの空気があるからですよ」
「今までの空気?」
「若手って、言葉だけじゃ見ないですから」
「どういうこと?」
「言っていいって言われても、本当に言った時にどうなるかを見てるんです」
亮一は黙った
山本は続ける
「一回でも、言った人が気まずそうになったら、みんな学びます」
「黙ってた方が得だって」
その言葉に、亮一は思い当たる場面がいくつも浮かんだ
以前、若手の一人が販促案に異論を出した時、亮一はこう返していた
「いや、それだと営業現場が混乱するんだよね」
言い方は穏やかだった
声も荒げていない
だが、結果として、その意見はその場で止まった
別の日にも、進行を優先するあまり
「その話はまた後で」と切ったことがある
その一つ一つは小さかった
だが、受け手にとっては違ったのかもしれない
言っても通らない
途中で止まる
整理されてからでないと出してはいけない
そんな学習が、少しずつ積み重なっていたのではないか
夕方、若手社員の一人が資料を持ってきた
「部長、これ、先方に出す前に確認いただけますか」
亮一は受け取りながら言った
「ありがとう、見ておく」
その後、少し迷ってから付け加えた
「あと、今日の会議、何か言いづらかった?」
社員は一瞬驚いた顔をした
そして、少し笑って言った
「言いづらいというより、正解が求められてる感じはあります」
「正解?」
「はい、思いつきで言うより、ちゃんと考えたものじゃないとダメかなって」
「そんなつもりはないんだけどな」
「分かってます、、、でも、そう見える時があるんです」
亮一はその言葉をそのまま受け止めた
分かってます、でも、そう見える
そこに、今のチームの本質がある気がした
心理的安全性がある組織というのは、優しい言葉が飛び交う組織ではない
未完成な意見でも、途中の違和感でも、整理できていない不安でも、出していいと思える組織だ
そして、その空気は「言っていい」と宣言しただけでは生まれない
実際に言った時に、止められない、恥をかかされない、あとで不利益がない
そういう経験の積み重ねでしか育たない
亮一は、自分がずっと勘違いしていたことに気づき始めていた
自分は、若手が安心できるように配慮していたつもりだった
だが実際には、無意識に「ちゃんとした意見」「整理された提案」「実行可能な答え」を求めていた
それは、若手にとっては優しさではなく、静かな圧力だったのかもしれない
夜、部長室で一人になった亮一は、ノートを開いた
そこに、短く書いた
・意見を歓迎する、と言うだけでは足りない
・未完成な意見が歓迎される経験を作る
・反対意見が出た時こそ、空気は見られている
・沈黙は、安心ではなく学習の結果かもしれない
書き終えて、少しだけ息を吐いた
心理的安全性とは何か
その答えはまだ掴めない
だが少なくとも、今のこの静けさは、理想ではない
そうだけは、はっきりしてきた
帰り際、廊下で村上とすれ違った
「お疲れさまです」
「お疲れさま、今日の会議、どうだった?」
村上は少し考えてから答えた
「前よりは、少し話しやすかったです」
「前よりは、か」
「はい、でも、まだみんな様子見だと思います」
「そうだよな」
「言っていい空気って、一回じゃ分からないので」
亮一は苦笑いした
「痛いところ突くな」
村上も少し笑った
「本音です」
その短いやり取りに、亮一は少し救われた気がした
このチームはまだ黙っている
でも、完全には閉じていない
ならば、やるべきことは一つだ
言葉を重ねることではなく、経験を積ませること
その覚悟を、亮一は少しずつ持ち始めていた
あなたへの質問
あなたの組織では、会議中の沈黙を「問題がない」と解釈していないでしょうか
メンバーは、本当に自由に話しているのか、それとも「言わない方が安全だ」と学習しているだけではないでしょうか
「率直に言ってほしい」と伝えたあと、その意見が途中で止められたり、否定されたり、気まずい空気になったことはないでしょうか
あなた自身は、未完成な意見や、整理されていない違和感を、どこまで歓迎できているでしょうか
今のチームの静けさは、安心の結果なのか、それとも遠慮の結果なのか、一度立ち止まって見直してみてください
次回、第4話では
「叱れない上司」と「成果が出ない現実」の間で、亮一の焦りがさらに強まっていきます
心理的安全性を守るつもりが、逆にチームの緩みを招いているのではないかという恐れと向き合う回に入ります

