「自走できない構造をどう変えるか」第2話

「早く相談して」と言う前に

「すみません、少し確認します」

加納の声が、フロアの端から聞こえた

電話口に向けた声は丁寧だった
ただ、いつもより半音だけ高い

佐伯亮一は、自席でメールを確認しながら、その声に少し引っかかった

加納は若手の中でも、比較的落ち着いている方だった
言葉遣いも丁寧で、顧客対応も雑ではない

ただ、困った時にひとりで抱え込む癖がある

「はい、承知しました。社内で確認のうえ、折り返します」

加納はそう言って、ゆっくり受話器を置いた

その直後、肩が少し落ちた

亮一は見ていた

見てはいたが、すぐには声をかけなかった

こちらもこちらで、朝から詰まっていた

A社への見積もり修正
役員会用の月次資料
午後の人事打ち合わせ
山本から上がってきた承認依頼
そして、昨日から未読のまま積み上がっているチャット

部長の一日は、だいたい未処理の山積みから始まる

そこに電話が鳴る
顧客は待ってくれない
数字も待ってくれない
部下の小さな違和感も、待ってくれない

ただ、現実には全部を同時には見られない

亮一が資料に目を戻した時、山本が近づいてきた

「部長、加納の件、少しまずいかもしれません」

亮一は顔を上げた

「今の電話か」

「はい。B社のクレームです」

「内容は」

山本はタブレットを見ながら言った

「先週納品した資料に、先方が依頼した修正が反映されていないとのことです」

亮一は眉を寄せた

「反映漏れか」

「はい。ただ、加納は一度確認したと言っています」

「どういうことだ」

「先方から来た修正指示が、メール本文と添付ファイルで食い違っていたようです。加納はメール本文を正として対応した。ただ先方は、添付ファイルの方が最終指示だったと言っています」

亮一は、少しだけ天井を見た

よくある

よくあるが、よくあってはいけない

「加納はいつ気づいた」

山本が少し言いづらそうにした

「昨日の夕方には、違和感があったようです」

亮一の中で、反射的に言葉が浮かんだ

なぜ、その時点で相談しなかった

言いそうになった

実際、喉元まで出かかった

だが、亮一は一度飲み込んだ

前なら、そのまま言っていたかもしれない

「なぜ早く言わなかった」
「違和感があったなら相談しろ」
「抱え込むなと言っているだろう」

どれも間違ってはいない

だが、言った瞬間に、加納は次からもっと早く相談できるようになるのか

それとも
「やっぱり怒られた」
という記憶だけが残るのか

亮一は、椅子から立ち上がった

「加納を呼ぼう」


小会議室に、亮一、山本、加納の三人が入った

加納はノートを持っていた
表情は硬い

「すみません」

座る前に、加納が言った

亮一は手で制した

「まず、事実を確認しよう」

加納は小さくうなずいた

山本が経緯を整理した

B社から先週、修正依頼が届いた
メール本文には三点の修正指示
添付ファイルには五点の修正指示
そのうち二点が本文に書かれていなかった
加納は本文の三点を反映して納品
今朝、B社から「依頼した修正が反映されていない」と連絡

亮一は加納に聞いた

「昨日の夕方、違和感があったというのは?」

加納は少し目を伏せた

「納品前に添付ファイルを見返した時に、本文と違う箇所があることに気づきました」

「その時、どう判断した?」

「メール本文の方が後から送られていたので、本文が最終版だと思いました」

「なるほど」

加納は少し早口になった

「ただ、念のため確認した方がいいか迷いました。でも、納期が迫っていて、先方も急いでいる感じでしたし、山本課長も別件で会議中だったので」

山本が小さくうなずいた

亮一は聞いた

「俺には相談しようと思わなかった?」

加納は、一瞬だけ固まった

「部長に、ですか」

「うん」

加納は言いにくそうにした

「正直、そこまで上げる話なのか判断できませんでした」

亮一は黙った

加納は続けた

「軽微な確認で部長に相談するのも違う気がして。山本課長も会議中でしたし、自分で判断した方が早いと思いました」

亮一は、心の中で小さく息を吐いた

自分で判断した方が早い

それは、自走しようとした結果でもある

ただ、その判断基準が曖昧だった

山本が聞いた

「俺が会議中でも、チャットを入れてよかったんだけどな」

加納はうなずいた

「はい。ただ、チャットしていいレベルか迷いました」

山本が少し黙った

亮一は、そこでようやく見えてきた

加納は相談しなかったのではない

相談していいかどうかを、自分の中で判断できなかった

そして、その基準をこちらは明確にしていなかった

「加納」

「はい」

「まず、今回の件は対応が必要だ。先方にも迷惑がかかっている。それは事実だ」

加納はうなずいた

「はい」

「ただ、今ここで一番確認したいのは、誰が悪いかではない」

加納が顔を上げた

亮一は続けた

「どの段階で相談すればよかったのか。その基準が、チーム内で共有されていたかだ」

山本が亮一を見る

加納も、少し驚いた顔をした

亮一はホワイトボードに書いた

相談すべき違和感

そして、加納に聞いた

「昨日の時点で、加納は何に引っかかった?」

加納は少し考えた

「指示が二種類あることです」

「ほかには」

「納期が近いこと。先方に確認すると間に合わないかもしれないこと」

「ほかには?」

「自分で判断して違っていたら、やり直しになること」

亮一はうなずいた

「この三つが重なっていたなら、相談していい」

加納は、少しだけ表情を変えた

「相談してよかったんですか」

「よかった」

山本も言った

「それは相談案件だな」

加納は、小さく息を吐いた

「そうなんですね」

その一言に、亮一は引っかかった

そうなんですね

つまり、加納にはその基準がなかった

相談していいかどうか
上げるべきかどうか
自分で判断すべきかどうか

そこを毎回、空気で読ませていた

亮一は、ホワイトボードに三つ書いた

1 指示が食い違っている
2 納期や費用に影響する
3 自分の判断だけでは相手に迷惑が出る可能性がある

「この三つのうち、一つでも当てはまったら相談していい。二つ以上なら、相談してほしい」

山本がすぐに言った

「これはチーム全体で共有しましょう」

亮一はうなずいた

「そうだな」

加納は、少し安心したように見えた

だが、亮一はそこで終わらせなかった

「ただし、相談するときは“どうしたらいいですか”だけではなく、ここまで整理してほしい」

そう言って、さらに三つ書いた

事実
自分の見立て
迷っている点

「事実は何か。自分はどう見ているか。どこで迷っているか。この三つがあれば、相談は早くなる」

加納はメモを取った

「わかりました」

山本が言った

「今回なら、こうですね。本文と添付で指示が違う。本文が後なので本文が最終と思うが、添付にしかない修正もある。納期が近いため、先方確認するか社内判断するか迷っている」

亮一はうなずいた

「それなら、すぐ判断できる」

加納は少し苦笑した

「確かに、その形なら相談しやすいです」

亮一は言った

「相談しやすい形を決めておくことも、仕組みだ」

加納は、静かにうなずいた


B社への対応は、その日の午前中に進めた

まず山本が先方担当者へ電話を入れた
亮一も横で聞いていた

「このたびは、修正内容の確認に不足があり、ご迷惑をおかけしました」

山本の声は落ち着いていた

ただ、言い訳はしなかった

そのうえで、メール本文と添付ファイルに差異があったこと
こちらの確認が不十分だったこと
本日中に修正版を提出すること
今後は修正指示の最終版を明確にする運用を提案したいこと

順番に伝えた

先方の声は、最初かなり硬かった

「こちらとしては、添付を見ていただいている前提でしたので」

山本は答えた

「おっしゃる通りです。こちらの確認不足です」

加納は隣でうつむいていた

亮一は、その様子も見ていた

ミスをした本人に、顧客対応の場を見せるべきか
傷口に塩を塗るだけになるのではないか

迷いはあった

だが、亮一はあえて同席させた

責めるためではない
仕事のリカバリーがどう行われるのかを見せるためだった

ミスは隠すものではない
ただし、放置するものでもない
事実を認め、相手の不利益を確認し、次の対応を決める

これもまた、自走に必要な経験だった

電話が終わったあと、山本は加納に言った

「今の対応で、何が見えた?」

加納は少し考えた

「最初に謝ること。でも、そのあと事実と対応策を分けて伝えること」

「ほかには」

「言い訳っぽくならないように、でも再発防止のために必要な情報は伝えること」

山本はうなずいた

「そうだな」

亮一も言った

「今回の件は痛かった。でも、次につながる形にできる」

加納は小さく頭を下げた

「すみませんでした」

亮一は首を横に振った

「よし!謝罪は受け取ろう!ただ、ここで終わらせないことだ」

加納は顔を上げた

「午後の会議で、今回の相談基準を共有する。加納には、事実だけ話してもらいたい」

加納の顔が少しこわばった

「・・・私がですか」

「無理にとは言わない。ただ、誰かを責める話にはしない。今回の件を使って、チームの相談基準を整えたい」

加納は少し迷った

山本が横から言った

「俺から話してもいい。ただ、加納が話せるなら、みんなにとっても大きいと思う」

加納は、しばらく黙ったあと、うなずいた

「短くなら、話します」

亮一は言った

「十分だ」


午後四時

短いチームミーティングを開いた

予定外の会議だったため、メンバーの表情には少し疲れが見えた

三島はノートパソコンを開いたまま
藤崎はA社の見積もり修正を抱えたまま
加納は、資料一枚を握っていた

亮一は最初に言った

「今日は、B社の件を共有する。目的は、加納を責めることではない」

会議室の空気が少し固くなる

亮一は続けた

「今回、修正指示の確認に漏れがあった。先方には山本から謝罪し、今日中に修正版を出す」

加納が小さく頭を下げた

亮一は、そこで一度間を置いた

「ただ、この件で私が見直したいのは、ミスそのものだけではない」

山本がホワイトボードに書いた

相談基準

亮一は続けた

「加納は昨日の時点で違和感を持っていた。ただ、相談していいレベルか迷っていた」

三島が少し顔を上げた

藤崎もペンを止めた

亮一は聞いた

「同じように、相談していいか迷ったことがある人はいる?」

一瞬、誰も手を挙げなかった

その沈黙を、亮一は待った

急がない
ここで急ぐと、いつもの会議に戻る

数秒後、藤崎が小さく手を挙げた

「あります」

三島も続いた

「私もあります」

山本が少し苦笑した

「けっこうありますね」

三島が言った

「相談していいかわからないというより、忙しそうだから今じゃないかなと思うことはあります」

藤崎がうなずいた

「私もです。聞けばいいのはわかっているんですが、今このタイミングで聞いていいのかなと考えているうちに、時間が過ぎることがあります」

加納が小さく言った

「私も、それです」

亮一は、その言葉を聞きながら、自分の胸が少し痛くなるのを感じた

忙しそうだから聞けない

これは、部下側の遠慮だけではない

管理職側が、そう見せている

いつも急いでいる
眉間にしわが寄っている
話しかけると、パソコンを見たまま返事をする
「今じゃない」と言われた経験がある
または、言われていなくても、そう見える

それだけで、相談のハードルは上がる

亮一は言った

「これは、私たち管理職側の課題でもあるな」

山本がうなずいた

「はい。相談してほしいと言いながら、相談しにくい雰囲気を出していたかもしれません」

三島が少し笑った

「山本課長は、忙しい時わかりやすいです」

山本は目を丸くした

「そんなに?」

藤崎が控えめに言った

「画面を見る目が怖い時があります」

加納も小さくうなずいた

山本は亮一を見た

「部長、今日かなり被弾しています」

亮一は言った

「受け止めろ」

「はい」

山本は少し笑ってから、メンバーに言った

「ありがとう。言ってもらえた方が助かる」

その一言で、場の空気が少し変わった

亮一はホワイトボードに、午前中に整理した三つを書いた

1 指示が食い違っている
2 納期や費用に影響する
3 自分の判断だけでは相手に迷惑が出る可能性がある

「この三つのうち、一つでも当てはまったら相談していい。二つ以上なら相談してほしい」

山本が続けた

「相談するときは、完璧な資料はいりません。ただ、三つだけ教えてください」

山本はさらに書いた

事実
自分の見立て
迷っている点

「この形なら、短いチャットでもいい。口頭でもいい。会議中なら、緊急度を書いてくれればあとで拾います」

三島が聞いた

「緊急度って、どう書けばいいですか」

亮一は少し考えた

「三段階でいい。今日中、半日以内、今すぐ」

山本が言った

「“今すぐ”は本当に今すぐの時だけにしましょう。乱発すると狼少年になります」

三島が笑った

「了解です」

藤崎が言った

「チャットの冒頭に書く形でもいいですか。たとえば、【今日中相談】とか」

山本がうなずいた

「いいですね。それでいきましょう」

亮一は、そのやり取りを見ながら思った

相談しろ

その一言では、人は相談できない

相談していい基準
相談する型
相談された側の受け止め方
忙しい時の扱い

そこまで決めて、ようやく相談は行動になる

ただの精神論ではない

仕組みだ


会議が終わったあと、加納が亮一の席に来た

「部長、ありがとうございました」

亮一は顔を上げた

「何が?」

「今日の会議です。正直、最初はかなり嫌でした」

「そうだろうな」

「はい。でも、自分だけの失敗として終わらなかったので、少し救われました」

亮一は少し黙った

「失敗したことは消えない」

「はい」

「でも、失敗をどう扱うかは変えられる」

加納はうなずいた

「次は、早めに相談します」

亮一は、少しだけ笑った

「早めに相談、だけだとまた曖昧だな」

加納も笑った

「指示が食い違っている時、納期や費用に影響しそうな時、自分の判断だけでは相手に迷惑が出そうな時、相談します」

「完璧だ」

「暗記しました」

「試験には出ない」

「でも現場には出ますね」

亮一は思わず笑った

「うまいこと言うな」

加納は少し照れたように頭を下げ、席に戻っていった

その背中を見ながら、亮一は考えた

自走できる社員とは、何でも一人で抱える社員ではない

むしろ、適切なタイミングで相談できる社員だ
問題を隠さず、早めに共有できる社員だ
自分の見立てを持ったうえで、助けを求められる社員だ

そして、それを可能にするのは、本人の勇気だけではない

相談しても責められない空気
何を相談すべきかの基準
相談の型
相談された側の反応

そこまで含めて、組織の構造なのだ


夕方

亮一はノートを開いた

この前書いた言葉が目に入る

【任せるとは、判断できる材料を渡すこと】

その下に、新しく書いた

【相談できるとは、弱いことではない
自走に必要な技術である】

さらに続ける

【相談してこない部下を責める前に 相談しづらい構造を見直す】

ペンを止めると、山本が横に来た

「部長、今日の件、少し前進しましたね」

「そうだな」

「ただ、私の怖い顔問題が表面化しました」

「収穫だな」

「収穫ですか?」

「見えた課題は、見えない課題より扱いやすい」

山本は少し苦笑した

「名言っぽく言えば何でも許されると思っていませんか」

「思っている」

「正直に言います。ずるいです」

亮一は笑った

だが、笑いながらも、心の中では重く受け止めていた

管理職の忙しさは、部下の相談を止める

それは、意図していなくても起きる

「いつでも相談して」

そう言いながら、実際には話しかけづらい顔をしている
声をかけられた時に、手を止めずに返事をしている
相談を受けた第一声が「なんで早く言わなかったんだ」になっている

それでは、相談は増えない

増えるのは、報告の遅れと、見えない不安だけだ

亮一は、ノートを閉じた

フロアでは、加納がB社への修正版送付メールを作っていた
山本がその横で、文面を確認している
藤崎はA社の見積もりを修正している
三島は、明日の進捗会議の資料を整えている

いつもの職場だった

ミスもある
トラブルもある
電話口で詰められることもある
誰かが落ち込む日もある
管理職の顔が怖い日もある

それでも、その一つひとつを使って構造を見直せるなら、職場は少しずつ変わる

亮一は思った

自走組織とは、相談がいらない組織ではない

むしろ逆だ

相談の質が高い組織だ

誰かが困った時に、早く、短く、正確に共有できる
管理職がそれを責めるのではなく、次の判断につなげる
そして、同じ迷いが起きないように、基準を残す

それが、チームの経験になる

その積み重ねが、自走できる構造をつくる

亮一はパソコンを閉じた

今日も予定通りにはいかなかった

だが、予定通りにいかない日こそ、組織の地力が見える

亮一の新しい問いは、少しずつ形になっていた


今回の本質ポイント

相談できることは、自走の一部である

自走型社員という言葉を聞くと、何でも一人で判断し、上司に頼らず進める人をイメージしがちです

しかし、実際の仕事はそれほど単純ではありません

顧客の要望が変わる
メールの指示が食い違う
納期が迫る
費用に影響する
他部署を巻き込む
判断を誤ると、相手に迷惑がかかる

こうした場面で必要なのは、何でも一人で抱えることではありません

必要なのは
適切なタイミングで相談できる力
です

相談できる社員は、弱い社員ではありません
問題を早めに見つけ、組織として判断するための材料を出せる社員です

逆に、相談できない職場では、問題が見えにくくなります
小さな違和感が放置され、あとから大きなトラブルになります

「早く相談して」と言うだけでは、相談は増えません

相談していい基準
相談の型
相談された時の受け止め方

この三つがあって、初めて相談は行動になります


管理職が今回気をつけるポイント

「なぜ早く言わなかった」と責める前に、相談基準を示す

今回のポイントは、ここに絞ります

部下が相談してこなかった時、管理職はついこう言いたくなります

「なぜ早く言わなかった」
「違和感があったなら相談して」
「抱え込まないで」
「勝手に判断しないで」

もちろん、言いたくなる場面はあります

しかし、その前に確認すべきことがあります

部下は、何を相談すべきかを理解していたか
どの段階で相談してよいかを知っていたか
相談した時に責められないと思えていたか

ここが曖昧なままでは、部下は相談できません

特に、次の三つに当てはまる時は、早めに相談する基準として共有しておくと効果的です

  1. 指示や情報が食い違っている時
  2. 納期・費用・品質に影響しそうな時
  3. 自分の判断だけでは、顧客や他部署に迷惑が出そうな時

また、相談の型も決めておくと、相談の質が上がります

  • 事実
  • 自分の見立て
  • 迷っている点

この三つで相談してもらうだけで、管理職は判断しやすくなります

自走組織に必要なのは
「相談しなくても動ける社員」
だけではありません

むしろ
相談すべき時に、相談できる社員
を育てることです

そのためには、相談を本人の勇気任せにしないこと

相談しやすい構造を、管理職がつくることです

投稿者について

hideyuki_kubota

1967年生まれのひつじ年の獅子座。O型