第2話
「彼は、分かってくれていると思っていた」
彼が辞めると告げた日から、頭の中で同じ場面が何度も再生されていた。
会議室での横顔、少し控えめな声、こちらを立てるような一言。
どれも、見慣れた光景だった。
(彼は、いつも分かってくれていた)
そう思う自分の感覚を、疑う理由が見つからなかった。
思い返せば、最初に彼と深く関わったのは、彼がまだ若手だった頃だ。
口数は多くないが、場の流れをよく見ている。
上司が何を求めているかを察し、必要なタイミングで言葉を足す。
「できるやつだな」
そう感じたのを、はっきり覚えている。
会議で意見が割れたときも、彼は極端な主張をしなかった。
両方の意見を整理し、落としどころを示す。
私は内心、何度も助けられていた。
(言わなくても伝わる)
(余計な説明はいらない)
そういう関係性が、心地よかった。
二年前、彼が自分の部下になったときも、特別な不安はなかった。
むしろ安心感が先に立った。
「彼がいれば、部門は回る」
そんな確信すらあった。
1on1でも、彼は淡々としていた。
仕事の進捗、課題、部下の様子。
大きな不満も、強い感情も出てこない。
「今のところ、大丈夫です」
その言葉を、私は何度も聞いてきた。
(大丈夫なら、無理に掘り下げる必要はない)
(困ったら、彼なら言ってくるはずだ)
そう判断していた。
飲みに行くこともあった。
仕事の話、業界の話、家族の話。
笑いながら、酒を酌み交わす時間は悪くなかった。
「部長は、昔の話をちゃんとしてくれるから助かります」
そう言われた夜もあった。
(信頼されている)
(頼られている)
その言葉を、疑いもせずに受け取っていた。
だが、今になって思う。
彼は、自分の話をどれだけしていただろうか。
こちらが語り、こちらが振り返り、こちらが学びを共有する。
彼はそれを聞き、要点を受け止め、必要なところだけを返す。
そのやり取りが、自然に続いていた。
(あれは、対話だったのか)
(それとも、彼が合わせていただけだったのか)
会議での一言も、
飲みの席での相槌も、
1on1での「問題ありません」も、
すべてが
「分かってくれている」ではなく
「分かっているふりをしてくれていた」
可能性が、頭をよぎる。
そう考えた瞬間、胸が苦しくなった。
(もしそうだとしたら)
(私は、どれだけ楽な関係に甘えていたんだ)
彼は優秀だった。
だから任せた。
だから聞かなかった。
だから疑わなかった。
信頼と、放置。。。
その境目を、私はどこで見誤ったのだろう
机に向かいながら、私は過去の1on1メモを読み返した。
そこには、整った言葉と、前向きな記録が並んでいる。
だが、感情の痕跡はほとんど残っていなかった。
(彼は、いつから何も言わなくなった)
(それとも、最初から言っていなかったのか)
答えは、まだ出ない。
ただ一つだけ、はっきりしてきたことがある。
私は
「分かり合えている関係」だと思っていた。
だが、それは
「摩擦のない関係」だったのかもしれない。
摩擦がないということは、
本音がぶつかっていないということだ。
その事実が、
遅れて、静かに、重くのしかかってきた。
次回予告
第3話
「1on1では、何を話していたのか」
形式としては成立していた対話
だが、なぜ本音には辿り着けなかったのか
1on1という場の限界を、記憶とともに掘り下げていきます

