『バイオハザード』(1996年にカプコンから発売された初代プレイステーション用テレビゲーム)を初めてプレイした時、「画面上物理的に見えない場所を 心理的にこんなにも怖がらせるなんて!!」と恐怖したのを思い出します。
現実においても、曲がり角や扉といった視覚的に見えない場所は初めてであればあるほどドキドキしてしまいます。
見えない事や物への怖れ
『マトリックス』(1999年公開アメリカ映画)でも”扉”は非常に重要なファクターとして描かれていました。
見えている範囲、つまり可視化できている世界とは別の世界・・・その入口に”扉”が描かれるケースは非常に多いです。
私の記憶のなかでは、「扉の向こうは煌めく夢の世界!」として描かれているのは一部のファンタジー作品を除くと多くないと思います。
恐らく、潜在的に見えない事や物への怖れを抱いているからではないでしょうか?だから、共感され より物語に引き込めるというように。。。
扉の向こう
しかしながら私たちは、現実社会において そして人生においても数えきれないほどの”扉”を開けてきているわけです。その時々や扉の種類によっても異なりますが、素晴らしく耀きに満ちた扉の向こう側もあったはずです。
扉の向こう側(まだ見ぬ世界)に胸を躍らせ、心を弾ませることも一度や二度ではないはずです!
もちろん、その扉には頑丈な鍵がかかっているのもありますし、電子ロックなどの扉もあるでしょう。
より幸せな世界につながる扉であればあるほど開錠が難しいのかというと実はそうでもなかったりもします。
つまり”まだ見ぬ世界”への扉からつながる世界が素晴らしいか否かは、確率論ではないと思うのです。
小さい頃よくやった”迷路”。点と線でみていた迷路を、ある時から俯瞰で見ることが出来るようになります。その結果、先を見通すことが出来るわけです。
では、人生において扉の先を開けずして垣間見るようにするにはどうしたらよいのでしょうか?
・先にその”扉”を開けた世界にいる人や見た人を探して聞いてみる?
・予測して備えて腹を決めて開ける?
・扉に耳をあて、僅かな音でも聴こえるか試してみる?
・などなど・・・・・
どれもが正解で、どれもが不正解かもしれません。人生の責任は誰でもない、私たち自身が負うものだから。。。
だから書籍を読んだり、映画を見たり、人との出逢いを求めたりして、少しでも多くの情報を得ようとするのだと思います。
先週『台本の無いトークライブ』最終回を迎えてから、そんなことを考えていました。
ならば!その”扉”をテーマに話をしてみようと思ったのです。
人の人生は人の数だけあります。小説にあるように誰かの人生をなぞる様な数奇な人生を送る人はどの程度いるかわかりませんが、例え双子でも歩む人生は異なる。
その時、何を思い決断したのか?
この質問をすることで、深みがますのでは?と思っています!
今とってもワクワクしています!このトークが成功になるか、失敗に終わるかはわかりませんが、私はワクワクしています!
というわけで、2020年11月5日(木曜日)21:00~あらたな企画をスタートします!Facebookのストーリーには11月4日に案内をアップしました💦
Bar『Over the door』
どんな話が聞こえてくるでしょうか?
是非扉を開けて来てください!