”愛”の反対語は”無関心”だと言われます
また無関心は、聞いたことあるしなんとなくは知っているけど それ以上知ろうとしない事と言い換えることが出来ます
「知ろうとしない」と「知らない」は、詳しくないという結果は同じですが天と地ほどの違いがあります
自分事になって初めて知ること、ありますよね
人は、本能で痛みを避けようとします。嫌なことや目を背けたくなることがあっても、どこか遠い世界の出来事と捉えてしまいがちです。
”かわいそう”という言葉。捻くれた捉え方ですが、「(私じゃなくてよかった)かわいそう」と聞こえます。
「”かわいそう”は同情の気持ちが起こる様、不憫に思える様」Goo辞書
”同情”とは、「他人の身の上になって、その感情をともにすること。特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること。」Goo辞書
安達祐実さん主演のドラマ「家なき子」で、「同情するなら金をくれ」という名台詞がありました
同情と共感は全く別物だと思います
昨今、コミュニケーション研修において「共感力」を求められることが増えてきました
研修プログラムを作る上でクライアント様とヒアリングを重ねるのですが、冒頭に挙げた【『無関心』と『知らない』空気感が広まってきており、職場環境そのものに悪影響を及ぼしてしまっていると感じております。
この「無関心」は根が深く、幼少期 即ち家庭教育において(意図していなくても)”無関心でいることの是”を親が伝えてしまっていると感じます。
学校教育においても、先生方の責務・労働は増える一方であるにもかかわらず給与は増えない現状を考えると、全てに目を配り熱意を持って取り組める環境ではもはやありません
家庭においても、増えない所得・見えない未来・減らない労働の中では余裕など持てるはずもなく、結果”無関心”や”知らないまま”でいた方が良い、となっても致し方ないかもしれません
そんな世界に未来はあるのでしょうか?
相対評価で自分の位置を確認し、まだ大丈夫と思うことは果たして健全な社会を作るのでしょうか?
未来を描くためには、”絶対評価”が必要だと思うのです
対岸の火事は、いつかは燃え移ります
他人事で済ませていたことは、かなりの確率で自分事になります
そうなってから考えては遅いのです。
”無関心”と”知らない”で出来ている世界。。。
そんな世界ではなく、”愛”と”共感”でともに歩む世界へ!
身近な事から「知ることで見える世界」を体感し、無関心でいることをやめる勇気を持ちましょう