6月も2週目に入り、繁華街の人出も非常事態宣言発令前の状況に少しづつ戻ってきています。目に見えるものはまだ良いですが、目に見えないものや見え辛いものへの気付きとフォローを怠らないようにしなければなりません。
まだ終息していませんので軽々に語ることは良くないかもしれませんが、今回のCOVID-19は、今まで人間が築いてきた近代社会のシステムやその功罪について大いに見直す契機となったことは異論ないと思います。
近代史において、国と国との関係が密接になった故に経済発展と世界大戦という光と影をもたらせた20世紀。そして、国と国との関係から言語・人種・宗教・文化etcでの対立が顕著になってきた21世紀。
この間、通信技術は格段に進化し 信じられないほどのスピードでグローバリゼーションが進みました。
新卒でS社に入社した時、”マルチメディア”という言葉が今後の新しい快適な社会をもたらすものとして喧伝され始めていました。各家電メーカーから出されていたその製品イメージは正直微妙でしたが、このマルチメディアなるものが市場を席巻するとしたら 家電メーカーのものではないのではないか・・・と思っていたのを思い出します。(エンタメ企業がイニシアチブをとるべきと願いをこめて思っていました)
あれから30年弱、マルチメディアという言葉やジャンルこそ聞きませんが GAFAがまさにそれなのではないでしょうか。残念ながらあれだけ強かった国内産業(IT・家電やエンタメ)はイニシアチブをとることが出来ずでした。
カタチに拘り過ぎた、製品に拘り過ぎたのが日本。コミュニティによる利便性に拘ったのが米国。
使う使わないはあくまで消費者の判断。結果論ではありますが、プロダクトアウト思考の限界だったのでしょう。
パラダイムシフトが起きるときは、従来の思考や視点からでは新しいものは生まれません。過去の経験や成功体験に少なからず引きずられるからです。
”マーケットイン(顧客視点)”の重要性は言わずもがなです。では日本はこの視点が弱いのでしょうか?
否
私はそうは思いません。歴史的にもそれは証明されています。ではなぜカタチに拘ってしまったのか。。。テーマから逸れてしまいますので今回はこれ以上は書きませんが。
ただ敢えて一言で表現すると、”「誇り」の喪失”。ここから立ち直れていないのでは?という事です。
今回のCOVID-19禍でも、横文字がメディアにたくさん踊っていました。自省も含め、大事なことは日本語で表現しませんか?言葉は魂です!煙に巻くような横文字表現は、なんとなくわかったような気にさせる でも受け止め方は千差万別!これでいいわけありません。
今回のテーマは「発信による責任の取り方」です。
道徳観念が、「自由」「個性」という麻薬で崩れてしまっている昨今 匿名性を武器に好き勝手に誹謗中傷を発信する。しかも罪の意識が希薄。
情報を発信する権利は誰にでもあります!そして今やそのツールは一人一台といっても良いでしょう。しかし権利には責任が伴います。その責任は、権利を行使すればするほど、影響が大きければ大きいほどその代償も大きくなければなりません。
Facebook・Twitter・instagram・LINE・TikTok etc
情報は発信する側と受け取る側双方に責任がありますが、発信する側の意識について早急に見直すべきと感じます。ルールを作らなくても皆が正しく運用できる社会になれることを祈りつつ、、、自分自身、発信する機会があるものとして匿名発信はしない事を誓います。
「いったん口に出した言葉は戻らない」
発した言葉は、受け止める人によって意味(理解)が変わることがあること、特に価値観が多様化し 権利意識が高まる現代社会において、今まで以上に発する言葉に責任を持つべきと思います。権利(権限)と責任について早急に考えなければならない時です。