エンプロイエンゲージメント⑤(最終回)

「分からなかったという事実を、引き受ける」

退職届が正式に受理されたあと、部長室は以前と変わらない景色を保っていた
だが、何かが確実に欠けていた

私は、あの一言を何度も思い返していた
「かなり前から考えていました」

(かなり前から)

その言葉が、頭から離れなかった

私は学んできた
心理的安全性が重要だと聞けば学び
コーチングが有効だと聞けば資格を取り
1on1も欠かさなかった

それでも、彼は黙っていた

ここで逃げることは簡単だった
「家庭の事情だ」
「キャリア志向の問題だ」
そう整理して終わらせることもできた

だが、それでは次も同じことが起きる

私は初めて、自分の“やり方”そのものを疑った


エンゲージメントとは「好かれているか」ではない

多くの研究が示しているように
エンプロイエンゲージメントは単なる満足度ではない

Gallup社の長期調査によれば
エンゲージメントは
・仕事への意味付け
・自律性
・成長機会
・上司との関係性
の相互作用によって形成される

だが私は
「関係性」だけを強く意識していた

寄り添い
傾聴し
承認し
支援する

それは間違いではない

しかし、エンゲージメント研究の中核である
Self-Determination Theory(Deci & Ryan)は
人が内発的に動機づけられる条件として

  1. 自律性
  2. 有能感
  3. 関係性

の三要素を挙げている

私は、関係性を整えているつもりだった
だが彼の「自律性」はどうだったか

私は期待していた
任せていた
評価していた

だが、それは
彼の意思決定をどれだけ尊重していただろう

(私は、彼の“選択”を本当に聞いていたか)


脳科学が示す「沈黙の正体」

近年の社会神経科学では
上司からの評価や期待は、脳にとって“報酬”である一方
「失望させる可能性」は強いストレス反応を引き起こすことが示されている

SCARFモデル(David Rock)では
人は以下の脅威に敏感であるとされる

  • Status(地位)
  • Certainty(予測可能性)
  • Autonomy(自律性)
  • Relatedness(関係性)
  • Fairness(公平性)

私は彼のStatusを高め
Relatednessを築いていたつもりだった

しかしAutonomyとCertaintyはどうだったか

部長としての期待
右腕という位置づけ
昇格をにおわせる言葉

それは、彼にとって
「応え続けなければならない構造」になっていなかったか

脳は脅威を感じると
対立よりも回避を選びやすい

彼の沈黙は、怠慢ではなく
神経系の自然な防御反応だった可能性がある


コーチングの盲点

私は問いを投げていた
「最近どうだ」
「困っていることはないか」

だが、ビジネスコーチングの研究では
安全な対話を成立させるには
“評価から切り離された空間”が不可欠とされる

私は部長だった
評価者だった
昇進を握る立場だった

その関係性の非対称性は
どれだけ努力しても消えない

つまり私は
無意識のうちに
「評価の場」で1on1をしていた

彼が語らなかったのではない
語れる条件が、整っていなかった


では、何を変えるのか

ここで私は
“やり方を増やす”のではなく
“前提を変える”ことを選んだ

1. 1on1の再設計

業務確認を切り離し
月1回は完全に評価と無関係な対話にする
議事録も残さない
目的は「成果」ではなく「意味づけ」にする

2. 選択肢を提示するリーダーへ

昇進や期待を一方的に示すのではなく
「あなたはどうしたいか」を具体的に問う
キャリアの複線化を前提にする

3. チーム単位の心理的安全性測定

Edmondsonの心理的安全性尺度を簡易活用し
年2回、匿名でフィードバックを取り
対話の起点にする

4. 上司自身のレジリエンス管理

自分が「良い上司であろう」とする圧を自覚する
自己認識を高めるために
360度フィードバックを導入する


それでも、完全には防げない

正直に言えば
どれだけ科学的に整えても
離職はゼロにならない

人は環境だけでなく
人生の文脈で動く

それでも、私は理解した

エンゲージメントとは
「辞めさせない技術」ではなく
「語れる環境を増やし続ける営み」だ

彼が語れなかったという事実を
私は消せない

だが
次の誰かが語れる可能性を増やすことはできる


最後に

彼の最終出社日
握手を交わした

「今までありがとうございました」
その言葉は、本心だった

私は答えた
「こちらこそ、ありがとう」

完璧な上司ではなかった
完璧な部門でもなかった

だが私は
分からなかったという事実から
目を逸らさなかった

エンゲージメントは
制度でも
テクニックでもない

不確実性を引き受けながら
関係性を設計し続ける姿勢そのものだ

彼が去ったあと
私は初めて
「分からない」という状態で
リーダーを続ける覚悟を持った


参考理論・研究

  • Gallup State of the Global Workplace
  • Deci & Ryan Self-Determination Theory
  • Amy Edmondson Psychological Safety
  • David Rock SCARF Model
  • Harvard Business Review 1on1研究
  • 360度フィードバック研究(Atwater & Waldman)
  • 神経科学における社会的脅威反応研究

あとがき

全5回にてお届けしましたエンプロイエンゲージメントをテーマにした管理職目線での物語、いかがでしたでしょうか?

適正な組織育成というテーマで研修を依頼頂く際、よく聞かれるテーマの一つがこのエンプロイエンゲージメントです

どのようにしたら上がるのかがわからない、、、という声です

社員旅行も行っているし、福利厚生だって整えている、有休消化率も悪くない、ハラスメントの問題も起きていない、、、それなのにエンプロイエンゲージメントの数値が低いのはなぜか?

・・・という声です

ワークエンゲージメントが高いのに、エンプロイエンゲージメントが低いということは、それだけ離職リスクが高いということです

多くの読者はお気づきのことと思いますが、エンプロイエンゲージメントとは関係性の数値に近いんです

上司との関係性・同僚との関係性・組織との関係性・そして会社との関係性です

関係性とは目に見えないものですし、関係性が低いとそもそもアラームが発してくれません

上司としては問題に気付かないまま、リスクはどんどん高まっているのにも関わらず日々の業務に追われ自身のマネジメントを客観視する機会ややり方もわからずに気づいた時は退職相談があった時!ということになります

どんな大きな企業でも、中小であっても、組織とは人と人との繋がりです

そこには成功の再現性などありません!

あるとするならば、失敗したケーススタディです!そしてそれこそが何よりも大事なのです

管理職の皆様や、これから管理職になる皆様にとって 組織育成(自律型社員育成)に悩まれる機会が多いと思います

失敗を恐れることなく、自身を振り返る(客観視する)時間を必ず毎日設けることを忘れずに自信を持って歩まれるように、弊社は全力で応援しております

投稿者について

hideyuki_kubota

1967年生まれのひつじ年の獅子座。O型