花の色は移りにけりないたずらに・・・


桜の花弁もだいぶ落ち、葉桜が大半を占めるようになってきました

すっかり春の陽気に包まれ、「春眠暁を覚えず」になっている私です

昨年の今頃は五感(聴覚)をテーマにしたオンラインワークのリリースを直近に控え、バタバタしていたのを思い出します

人は皆違うと理解していても、具体的にその感性や感覚はどの程度違うものなのか説明できる人は少ないのではないかな?と思います

「同じ話を同時に聞いても、受け止め方が異なるのはなぜでしょう?」

理解力の問題?、前提条件の相違?などなど、私たちは屡々このようなエラーに遭遇します。また自分自身がそのようなエラーを起こしたりもします

職場だけでなく、夫婦関係や友人関係、親子関係でもおこる誰でも経験することです

親が子どもを躾ける時は特に、このエラーは多く発生します。自分の目線で・自分の価値観・判断軸で物事をはかり伝えようとするからです。それらは過去の経験によって構成されていますので、人生経験が圧倒的に少ない子どもと大人ではエラーがおきない方が奇跡です

目線合わせはもちろん大事ですが、自分の価値観や判断軸を構成するものが何か?を理解することが何よりも大事ではないでしょうか

”日本人は季節を愛でる感性の持ち主?”

春を迎える時期になると多くの人が梅や桜に心を躍らせます

鶯の声に耳を奪われ、花の香りに心が癒されます

夏になると風鈴の音に情緒を感じ、花火の火薬の匂いや音に心が躍ります

秋は虫の声に移り行く季節を感じ耳を傾け、紅葉に目が奪われます

そして冬。。。

私たち日本人は、四季折々の情景に小さな世界を感じそれを五感全体で感じる感性を持って生きてきました

しかし時代は変わり、情緒を必要としない 溢れかえる情報社会の中で、助け合い補完しあう関係から奪い合い差別・区別する関係になってしまったことから始めは小さかったエラーが大きくなり、今や歪みが生じているのではないでしょうか

「花の色は 移りにけりないたずらに わが身世にふるながめせし間に」小野小町

歌の詞書に「やむごとなき人のしのぶ給ふに」とありますが、絶世の美女と謳われた小野小町の生活や容姿が、時と共に変わっていく様を詠んだ歌です

容姿は時には勝てませんが、守らなければならないもの・変わってはならないものはあります

五感を磨き、この不安定な時代 アイデンティティをしっかりと持ちましょう!