第2回:「沈黙のコスト ― 言わないことが壊していくもの」
1.「波風を立てたくない」から始まる崩壊
火曜日の朝
定例ミーティングを終えた香澄は、少し重たい沈黙の中でノートを閉じた
誰も何も言わない
けれど全員が、“何かおかしい”と感じている
新規案件の進捗が遅れている
原因は明らかだった
悠斗が提出した見積もりが顧客要件とズレていたのだ
だが彼は、「言われた通りにやっただけです」と反論
その場にいた誰も、言葉を継げなかった
(このままだと、チームが静かに壊れていく)
香澄は分かっていた
でも、“今ここで指摘すればまた険悪になる”という予感が、
口を閉ざさせた
2.沈黙の心理:避けるのは衝突ではなく、“感情”だ
人はなぜ、明らかに問題があるときに黙ってしまうのか
恐れているのは「対立」ではなく「感情の爆発」だ
心理的安全性が低い職場ほど、
メンバーは「波風を立てたら嫌われる」「言ってもムダ」と思い込み、
結果として“沈黙”を選ぶ
ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR, 2024)によると、
リーダー層の65%が「チーム内で問題を見ても、場を荒らしたくないために発言を控えた経験がある」と回答している
その結果、業務ミスの平均コストは年間でチーム1つあたり約750万円に上るという
沈黙は「優しさ」ではない
それはチームにとって最も高くつく“無言のコスト”だ
3.現場の空気:静かな苛立ちの伝染
水曜午後、香澄は後輩の芽衣に声をかけた
「さっきの会議、どう感じた?」
芽衣は困った顔をしながら言った
「正直……怖かったです。誰も何も言わないし、何を言っても否定されそうで。」
その言葉に、香澄の心臓が小さく痛んだ
沈黙は、チームを“安全”にしているようで、実は“危険”を広げる
沈黙が続くと、
・「どうせ言っても無駄」
・「自分が悪く見られたくない」
・「上司がなんとかしてくれる」
という依存と諦めのスパイラルが生まれる
やがて、会議は“情報共有”ではなく、“気配り合戦”になる
全員が疲れているのに、誰も本当のことを言わない
4.香澄の葛藤:「叱る」と「伝える」のあいだで
翌日、香澄は意を決して悠斗を会議後に呼び止めた
「ちょっと話そうか。5分だけ。」
「……またですか。」
ため息交じりの返答
彼女は深呼吸をして言った
「昨日の見積もりの件だけどね、あなたがやった作業自体は間違ってない。
でも、顧客の意図を確認する“質問”が抜けていた。そこを次から一緒に見直したい。」
悠斗は目を逸らしたまま、
「結局、僕のせいってことですよね。」
と言い捨てた
香澄は、何も返せなかった
(伝えたいのは責任じゃない、“改善の余地があるよ”ってことなのに)
正論を伝えても、感情の壁を越えなければ意味がない
5.「沈黙のコスト」はやがて“信頼の赤字”になる
その週末、チームで小さな事故が起きた
納期直前にデータ更新が止まっていたが、誰も報告しなかった
理由は簡単
「どうせ怒られるから、触れないほうがいい」
香澄は愕然とした
チームは、“怒られるリスク”を避けて“組織の損失”を選んだのだ
HBR Japan (2024) の調査では、
日本企業で発生したトラブルのうち62%が“報告・相談の遅れ”によるものとされている
また、同調査では「沈黙型組織」は“問題検知から対応までの時間”が平均で3.4倍遅いことも分かっている
言わないことは、沈黙ではなく“放棄”だ
沈黙の積み重ねは、信頼残高を食い尽くしていく
6.沈黙を破る第一歩:「安心のルール」を可視化する
香澄は、月曜のチーム朝会で新しい試みを始めた
ホワイトボードに太い文字でこう書いた
「問題を言った人は、責めない。言わなかった人も、責めない。次に同じことを繰り返さないための仕組みを話す。」
そのルールを掲げた瞬間、
チームの表情が変わったわけではない
ただ、午後のSlackで誰かが初めて「これ、ちょっと変ですよね?」と書いた
そのメッセージを見た香澄は、胸の奥が少しだけ軽くなった
7.沈黙を破るリーダーの“3つの技術”
1️⃣ 観察ではなく、描写を使う
例:「昨日の会議であなたが発言した後で、3秒ほど沈黙があったね」
→ 主観を交えず“出来事”で切る。相手が防衛的になりにくい
2️⃣ “なぜ”でなく、“どうすれば”を問う
例:「なぜ遅れたの?」→「次はどうしたらスムーズになると思う?」
3️⃣ “沈黙の場”に名前をつける
「今、ちょっと静かになったね。この沈黙って、考えてる時間?それとも不安?」
→ 沈黙を“見える化”すると、空気が動き出す
8.香澄の独白:沈黙を破るのは“勇気”ではなく“設計”
「私は勇気が足りない」と思っていた
けれど本当に足りなかったのは、仕組みだった
“発言できる空気”は偶然ではなく、設計できる
ルール、会議の構成、質問の順序
沈黙を責めずに、沈黙を“使う”
それが、レジリエンスの始まりかもしれない
💡 次回予告
第3回:「“どうせ”が口癖になる日 ― 部下の心の防衛線」
いよいよ部下・悠斗視点
なぜ彼は突っかかり、皮肉を吐くのか?
その背景にある“正しさへの恐怖”と“自己防衛のメカニズム”を描きます
📚 参考・エビデンス
- Harvard Business Review Japan (2024)
「沈黙型組織のコスト ― 言わないことが生む損失」調査より。
発言抑制による業務ミス損失はチームあたり平均750万円。 - Amy Edmondson (2024) “The Fearless Organization Revisited”
心理的安全性は「感情的リスクをとる勇気」を支える基盤であり、沈黙が続く環境では学習行動が40%以上減少。 - McKinsey Global Institute (2023)
「Silent Teams, Lost Potential」レポート。沈黙が多いチームはイノベーション率が約30%低下。 - 日本産業衛生学会(2024)調査報告
「職場内沈黙傾向とメンタルヘルス悪化の関連」より、沈黙が多い職場はバーンアウト率が1.8倍。

