エンプロイエンゲージメント③

「1on1では、何を話していたのか」

彼が辞めると言ったあと、私は自分のスケジュール帳を何度も見返していた
月に一度、欠かさず入れてきた1on1
忙しい時期でも、時間を短縮することはあっても、飛ばした記憶はない

(ちゃんと、やってきたはずだ)

そう思いたくて、過去のメモを読み返す
業務の進捗、課題、部下の様子、上への報告事項
どれも整っていて、破綻している箇所は見当たらない

それでも、今となっては違和感しか残らない

1on1の時間、彼はいつも落ち着いていた
必要以上に感情を出さず、淡々と話す
私が何か問いを投げると、少し考えてから、要点だけを返す

「今のところ、大きな問題はありません」
「現場は回っています」
「部下からも特に不満は出ていません」

その言葉を聞くたびに、私は内心ほっとしていた

(彼が言うなら大丈夫だ)
(彼が見てくれているなら、細かく口を出す必要はない)

今思えば、その安心感は危うかった

私は、1on1を「確認の場」にしていた
状況が問題ないか
トラブルが起きていないか
自分が介入すべきことがあるか

彼は、その問いに正確に答えてくれていた
だが、それはあくまで“業務としての正確さ”だった

「最近、どう?」
そう聞いたことはあった
だが、その後に続く沈黙を、私は待てていただろうか?

少し間が空くと、つい補足してしまう
「忙しいよね」
「この時期は大変だよね」
「俺の若い頃もさ」

彼は頷く
話は、私の経験談に流れていく

(聞いているつもりだった)
(寄り添っているつもりだった)

だが、振り返ると、
彼が自分の言葉で語る時間は、どれほどあっただろう

1on1の終わりには、いつも同じような言葉を交わしていた
「何かあったら、いつでも言ってくれ」
「遠慮はいらないから」

それを言うことで、私は安心していた
言う準備は整えた、あとは彼次第だと

今になって、その言葉が別の意味を帯びてくる

(本当に、言える空気だったのか)
(彼にとって、その言葉はどんな重さだったのか)

彼は課長代理だった
部下もいる
現場も抱えている
上からは期待され、下からは頼られている

そんな立場の人間が、
「実はしんどいです」
「自信がありません」
「もう限界かもしれません」
そう簡単に言えるだろうか、、、

しかも相手は、
自分を評価し、可愛がり、期待してくれている上司だ

(期待に応えたい)
(失望させたくない)
(これ以上、負担をかけたくない)

その気持ちを、私はどれほど想像していただろう

1on1は、形としては存在していた
だが、そこにあったのは、
安心して話せる場ではなく、
期待に応えるための場だったのかもしれない

そう考えたとき、胸が詰まった。

私は、
「何でも話していいよ」と言いながら、
無意識に
「できている前提」で話を進めていた

問題がないことを確認し、前向きな話で締める
それが良い1on1だと、信じていた。

だが、彼にとってはどうだったのか

(1on1は、逃げ場ではなかった)
(むしろ、自分を保つために、余計に気を張る時間だったのではないか)

そう思った瞬間、
自分のやってきたことが、
少しだけ違って見えた

私は、
話を聞いていた
だが、
「語られないもの」を、聞こうとしていなかった

その事実を認めるのは、正直つらい
だが、目を逸らしてはいけないとも思った

彼が去ったあとでしか、
こうして振り返れない自分が、情けなくもあった

それでも、
この違和感から目を背けたら、次も同じことが起きる

そう直感していた。


次回予告

第4話
「沈黙は、いつから始まっていたのか」

忙しさ、任せること、期待すること
その積み重ねの中で見逃していた小さなサインを
主人公の視点で一つずつ辿っていく

投稿者について

hideyuki_kubota

1967年生まれのひつじ年の獅子座。O型