「心理的安全性の誤解」①

第1話

「優しい組織を作れ」


朝7時10分

まだ人の少ないオフィスフロア
窓の外には冬の淡い光が差し込み、ビルの谷間に朝の空気が静かに流れていた

コーヒーの湯気が、ゆっくりと立ち上る

佐伯亮一、45歳
この春、部長になった

営業畑一筋
課長として成果を出し続け、社内でも「面倒見の良い管理職」として評価されてきた

だが

部長になった今
任されたのは

若手中心の新設チーム

平均年齢
29歳

(若いな…)

亮一は、コーヒーを飲みながら
まだ空いているフロアを見渡した


午前9時

朝礼

チームメンバーは8人

まだ雑談の延長のような空気の中
亮一が口を開いた

「おはようございます、今期からこの部署を任される佐伯です」

若手たちが軽くうなずく

スマートウォッチを触る者
ノートPCを開いたままの者

(こんな感じなのか、今の若手は)

亮一は続けた

「みんなが安心して意見を言えるチームにしたいと思っています」

「心理的安全性を大事にしたい」

数人が顔を上げる

一人の女性社員が言った

「いいですね」

別の社員が続ける

「今どきは心理的安全性ですよね」

(よかった、受け入れられてる)

亮一は、少し安心した


その日の昼

社内チャット

同じ部長職の同僚からメッセージが届く

「新チームどう?」

亮一
「若手多いけど、いい感じ」

同僚
「今は叱るとハラスメントになるから気をつけてな」

「心理的安全性大事だぞ」

亮一
「そうだよな」

(叱るのはNGか)


その夜

帰宅後

リビング

中学生の娘がテスト勉強をしている
小学生の息子がゲームをしている

妻が夕食を運んできた

「新しい部署どう?」

亮一
「若い子ばっかり」

「心理的安全性ってやつ、意識しないと」


「最近よく聞くね、それ」

亮一
「怒ったらダメらしい」

娘が言う

「学校でもそうだよ」

「怒る先生、嫌われる」

(時代か…)


2週間後

会議室

売上報告

数字が並ぶモニター

沈黙

亮一が言った

「どうだろう、今月」

若手社員の一人が言う

「ちょっと厳しいですね」

「市場が厳しくて」

別の社員

「他社も苦戦してます」

亮一

「そうか」

(そうかじゃないだろ)

(数字、全然足りてない)


会議終了後

廊下

課長の山本が小声で言う

「部長」

「ちょっといいですか」

会議室に戻る

山本

「部長、少し言った方がいいですよ」

亮一

「何を?」

山本

「チーム、かなり緩いです」

亮一

「でも心理的安全性が…」

山本

「それとこれ、別ですよ」

亮一

「叱るとハラスメントって」

山本

「誰が言ったんですか」

亮一

「ネットとか…」

山本はため息をついた

「それ、誤解ですよ」


翌週

営業会議

本部長が数字を見て言った

「佐伯」

「この部署、どうなってる」

会議室の空気が重くなる

亮一

「若手中心で…」

本部長

「それは理由にならない」

沈黙

「心理的安全性って知ってるか?」

亮一

「はい」

本部長

「それ、優しい組織じゃない」

亮一

「え?」

本部長

「言うべきことを言える組織だ」

「甘い組織じゃない」

会議室の空気が変わる

(そうなのか…)


その夜

オフィス

誰もいないフロア

窓の外に広がる夜景

亮一はパソコンを閉じ
椅子にもたれた

(心理的安全性って…何だ)

(優しい組織じゃないのか)

スマホで検索する

心理的安全性

記事
動画
SNS

様々な意見

「怒らない上司」
「優しい組織」
「自由な職場」

(どれが本当なんだ)

亮一は、椅子から立ち上がった

窓の外の夜景を見る

(俺は…間違ってるのか)


そのとき

後ろから声がした

「まだ帰らないんですか」

振り向く

若手社員の一人
村上だった

「部長」

「ちょっといいですか」

亮一

「どうした」

村上は少し迷って言った

「心理的安全性って」

「何でも許されるって意味じゃないですよね」

亮一は黙った

(俺も知りたい)


静かなオフィス

夜の空気

二人の沈黙

心理的安全性

その言葉だけが
宙に浮いていた


次回

第2話

「沈黙する若手」

心理的安全性があるはずのチーム

だが

会議では
誰も本音を言わない

沈黙の理由が
少しずつ明らかになる

投稿者について

hideyuki_kubota

1967年生まれのひつじ年の獅子座。O型